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足ることを 知れるひとつは 天地(あめつち)の 何にもかへぬ わがたからなり ー甲斐和里子ー

足ることを 知れるひとつは 天地(あめつち)の 何にもかへぬ わがたからなり ー甲斐和里子ー

多くの人は、 今朝方ほめそやしたものを 夕方にはもう謗(そし)りはじめる。 そして、つねに正しいことを言っているつもりだ。  -アレクサンダー・ポープ-

多くの人は、 今朝方ほめそやしたものを 夕方にはもう謗(そし)りはじめる。 そして、つねに正しいことを言っているつもりだ。 -アレクサンダー・ポープ-

はじめには、わが身のほどを信じ、後には、仏の願を信ずるなり。-法然上人-

はじめには、わが身のほどを信じ、後には、仏の願を信ずるなり。-法然上人-

われわれは如何にすればよく生きることが出来るかを探求し、生を意義あらしめているこの世の理法に参ずることによって、生死解決することが出来る。 日常の生活において移り行く時々刻々に生があり死があるのである。 -『新版 きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)より-

われわれは如何にすればよく生きることが出来るかを探求し、生を意義あらしめているこの世の理法に参ずることによって、生死解決することが出来る。 日常の生活において移り行く時々刻々に生があり死があるのである。 -『新版 きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)より-

人はどんなささやかな疑問でも、持って生きなければならない。他人様にはどんなにつまらない疑問であると思われても、自分自身にとって問題であるのならば、その問を抱えて生きなさい。そうすれば、見るもの、聞くことの中に必ず答えがある-坂東性純『はたらく仏さま』より-

人はどんなささやかな疑問でも、持って生きなければならない。他人様にはどんなにつまらない疑問であると思われても、自分自身にとって問題であるのならば、その問を抱えて生きなさい。そうすれば、見るもの、聞くことの中に必ず答えがある-坂東性純『はたらく仏さま』より-

寄ってグループをこしらえる。グループをこしらえるとまた別れるというようなことが、人間のやる日常の癖だな。-鈴木大拙(『親鸞の世界』より)-

寄ってグループをこしらえる。グループをこしらえるとまた別れるというようなことが、人間のやる日常の癖だな。-鈴木大拙(『親鸞の世界』より)-

人は我を知らず 自己に迷っている-高光大船『道ここに在り ~高光大船の世界~』より-

人は我を知らず 自己に迷っている-高光大船『道ここに在り ~高光大船の世界~』より-

手  術   鈴木章子  この手術が 例え 一日の延命にすぎぬものであっても 受けてゆくべきであろう 末期は安らかにと願っているが 安らかさは保証されたものではない 苦痛の代償として 今日一日のいのちの重さを 子等に示すことができたら これもまた 意味ある生ではなかろうか  『癌告知のあとで』より

手 術 鈴木章子 この手術が 例え 一日の延命にすぎぬものであっても 受けてゆくべきであろう 末期は安らかにと願っているが 安らかさは保証されたものではない 苦痛の代償として 今日一日のいのちの重さを 子等に示すことができたら これもまた 意味ある生ではなかろうか 『癌告知のあとで』より

私の信念には、私が一切のことに就いて、私の自力の無功(むこう)なることを信ずる、と云う点があります。 此(この)自力の無功なることを信ずるには、私の智慧や思案の有り丈(ありたけ)を尽して其(その)頭の挙げようのない様になる、ということが必要である。 此が甚だ(はなはだ)骨の折れた仕事でありました。 -清沢満之(「我が信念」より)-

私の信念には、私が一切のことに就いて、私の自力の無功(むこう)なることを信ずる、と云う点があります。 此(この)自力の無功なることを信ずるには、私の智慧や思案の有り丈(ありたけ)を尽して其(その)頭の挙げようのない様になる、ということが必要である。 此が甚だ(はなはだ)骨の折れた仕事でありました。 -清沢満之(「我が信念」より)-

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。 -『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』(中村元 訳)より、お釈迦様の最後のことば-

もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい。 -『ブッダ最後の旅(大パリニッバーナ経)』(中村元 訳)より、お釈迦様の最後のことば-

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